おくりびと
大往生 見届け寂し 夜長かな
昨夜、うちの老人ホームで最高齢の入居者さんが老衰で旅立たれた。
終焉の時、ぼくはそばにいて看取った。
自分の持ち場のフロアが落ち着いていたので、遅番スタッフに一言告げてその入居者さんがいるフロアに下りた。
居室に入ると、すぐに死期が迫っている事が分かった。
呼吸も弱かった。
血圧もどんどん低下していく。
ナースが施設長や主治医の所に電話をかけて指示を仰ぎ、主治医の来るの待った。
ぼくは、ずっとその人に声をかけながら、他のスタッフやナースと旅立つのを見守った。
呼吸が止まった。
しばらくして主治医とナースが来て診断をした。
医者がお辞儀をした。
それに合わせてぼくらもお辞儀をした。
しばらくして、連絡を受けて出勤した施設長と生活相談員が家族と面会していた。
そして、家族が居室に入り無言の対面をした。
そこのフロアの夜勤者から、葬儀屋さんが来てお連れになったと聞かされた。
介護の仕事の就いて3年8ヶ月。
どういう訳か、ぼくの夜勤の時に入居者さんを看取る事が多くて、前の施設長から「うちの施設のおくりびと」と呼ばれるくらい看取ってきた。
その度、涙を流してきた。
関わっている時間の長さに関係なく、看取る度に涙を流していた。
ところが、昨夜亡くなった入居者さんの時は涙が出なかった。
最期の瞬間までずっとそばにいたのに、涙が出なかった。
その人が老衰で大往生だからなのだろうか。
そのあと、泣く暇もない程に忙しい場所で仕事をしているからだろうか。
あまりにも入居者さんを「おくった」からなのだろうか。
兎に角、涙が出なかった。
寂しい気持ちはこれまで以上にあるはずなのに。
リーダーになって、今までみたいに入居者さんを看取って涙を流す訳には行かないという気持ちがどこかで働いているのだろうか。
しかし、寂しい気持ちと、これまでお世話させていただいた感謝の気持ちに変わりはない。
100年という長い人生の最後の期間を、共に過ごさせてもらえた事に感謝してます。
ありがとう、まつさん。
ホントは、ここでは仕事の事を書くつもりがなかったのですが、どうしても自分の気持ちに整理がつかなくて、その思いも込めて書きました。
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