昭和のラジオ
耳馴染み 消えて寂しい 昭和かな
今日の放送で「大沢悠里のゆうゆうワイド」が幕を閉じた。
月曜から金曜の午前中のラジオ番組だった頃から聞いていて、前の職場では仕事の傍らで聞いていた。
その「ゆうゆうワイド」が平日の放送が終わり、それでも「土曜日版」として引き続き聞けるということで、聞ける時は土曜日の15時からが楽しみの一つになっていた。
ある日、たまたまお休みの日でこの時間にカーラジオを聞いていたら、今日で「ゆうゆうワイド」が最終回になると聞いて、車の中で思わず「えええ!」って大きな声を出して驚いてしまっていた。
流石に運転中だったから呆然とはならなかったけど、「ちょっとショックなんですけどぅ」という気分だった。
大沢悠里さんの声を初めて聞いたのは中2の時だった。
その時は、部活中の骨折で病院へ入院していた頃で、退屈しのぎと母が持って来てくれたラジカセから聞こえていた「のんびりワイド」という番組だった。
悠里さんの軽妙なおしゃべりが楽しくて、「ラジオの面白さ」にハマった気がする。
だから、退院して昼間のラジオが聞けなくなってすごく残念な気分になった。
月金の間で学校が休み時は、この番組が聞けるという楽しみになっていた。
久しぶりにラジオを聞ける環境になって、午前中に悠里さんの声が聞こえて、それが「ゆうゆうワイド」だった。
それからはラジオ番組と言えば「ゆうゆうワイド」だった。
昭和のラジオ番組の匂いがしていた番組だった。
「ゆうゆうワイド」の企画で作詞プロジェクトがあって、その中の1曲でパートナーのさこみちよさんが歌った「昭和のラジオ」という曲は、まさに「ラジオのある風景」を歌っていた。
生活の中にしっかりと寄り添っていたのが「ゆうゆうワイド」で、昭和の良き時代の番組でもあって、平成、令和になっても聞けたのは、それだけ時代が変わっても聞いている人に寄り添っているからだからだと思う。
そんな「昭和のラジオ」の「ゆうゆうワイド」が終わってしまい、また一つ楽しみな時間が無くなってしまい、いかに時代の流れと言えど、あまりにも残念でならない。
ラジオは聞いている人に寄り添うことに価値があると思う。
時代が流れても、その価値は変わって欲しくないと思う。
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